福岡簡易裁判所 昭和40年(ろ)337号 判決 1966年4月07日
被告人 吉兼保夫
主文
被告人は無罪。
理由
検察官は本件本位的訴因として「被告人は昭和四十年二月二十三日午前四時五十五分頃福岡市香椎御幸町附近道路において過労により睡気を催し、正常な運転ができない虞れがある状態で普通乗用自動車を運転した」旨の事実により公訴を提起し、予備的に「被告人は呼気一リツトルにつき〇・二五ミリグラム以上のアルコールを身体に保有し、その影響により正常な運転ができない虞れがある状態で昭和四十年二月二十三日午前四時五十五分頃、福岡市香椎御幸町附近道路において普通乗用自動車を運転した」旨の訴因を追加しているのである。
そこで<証拠省略>等の各証拠を綜合すると、以上の各証拠により
第一被告人は昭和四十年二月二十二日午後九時頃より福岡市光ヶ丘二丁目一番地白木聡潔方においてビール四本位を飲酒し、酩酊したまま翌二十三日午前一時頃同所より普通乗用自動車を運転し、帰宅途中、同日午前一時四十分頃福岡県筑紫郡春日町北町三丁目附近道路において酒酔い運転(道路交通法第六十五条、第百十七条の二違反)で司法巡査右田諒一郎外一名に検挙せられた。(以上の酩酊運転については昭和四十年三月二日当裁判所において道路交通法第六十五条、第百十七条の二違反の罪名下に罰金一万円の裁判を受け、同裁判は同年三月十七日確定、その折のアルコール身体保有量は呼気一リツトルにつき一ミリグラム以上)
第二次いで被告人は右田巡査により筑紫野警察署春日原派出所において同日午前二時頃より同日午前四時三十分頃まで仮眠せしめられたが、帰宅させてくれとの被告人の再三の懇望もあり、右田巡査は被告人の酔いがさめて正常な運転ができるかどうか観察するため、被告人を歩行せしめても足取りもしつかして居り又被告人の顔色も酔いがさめたような顔色でもあり、更に自動車を運転させても方向指示器も確実に操作するところより被告人は既に酔いもさめて正常な運転ができるものと判断し、被告人に対し自動車を運転して帰宅することを許容した。
第三被告人は右の如く運転して帰宅することを許容されたのであるが、被告人自身も又酔ひもさめて正常な自動車運転ができるものと考え、同日午前四時三十分頃右自動車を運転して、右春日原派出所を出発し国道三号線を一路福岡市御幸町一の三八公団住宅二Sの十一の自宅に向けて走行途中、同日午前四時五十五分頃、同市同町交差点附近に差しかかつた際俄かに正常な運転ができなくなり、九電々柱「千早一〇号」に激突して負傷し、病院に収容され、同日午前五時三十分頃アルコール検知を受けたところ、被告人のアルコール身体保有量は呼気一リツトルにつき一ミリグラム検知された。
の諸事実が認められるのである。
しかして検察官は右第三の不正常運転行為につき、前顕の如く、本位的訴因として過労運転(道路交通法第六十六条違反)で公訴を提起し、予備的に酒酔ひ運転(道路交通法第六十五条、第百十七条の二違反)として訴因を追加していることは明らかである。
そこで先づ右第三の運転行為が過労運転に該るか、将又酒酔い運転に該るかにつき判断するに、
前顕(一)および(三)、(六)の各証拠によれば被告人は右春日原派出所を出発し、千早小学校手前の電車道の安全地帯(衝突事故現場までの距離約五百米)附近までは正常な運転をしていたが、同所附近に至つて俄かに正常な運転ができなくなり福岡市御幸町交差点附近において自動車を逸走させ、電柱に衝突するに至つたことは極めて明瞭であるが、正常な運転ができなくなつた事情については、被告人は全く記憶せず、検察官事務取扱検察事務官に対しては「この事故は私が酒を飲んでその晩眠つていなかつたため、車の中で疲れが出てついうとうととしたため、運転できない状態になつて電柱と衝突したこと以外には考えられない。」旨述べ、又第四回公判廷においては「窓を閉めて、ヒーターが利いていたので酔いがぶり返し居眠りしたものと思う。」旨述べているが、右各供述は単に被告人の衝突原因について想到されるところの可能性につき想像して述べているに過ぎず、これをもつて直ちに過労運転の証拠となすことを得ないのみならず、前顕第一認定の運転行為当時も、呼気一リツトルにつき一ミリグラム以上のアルコールを保有し、且つ本件衝突事故発生後(約四時間を経過)においても、なお依然として同量のアルコールを保有していた事実を併せ考えれば、被告人の第四回公判廷における「窓を閉めて、ヒーターが利いていたので酔いがぶり返して居眠りしたものと思う」旨の弁解の如く解するのが事実解釈の仕方として最も自然的な受取方であらう。
そこで酒酔いのための居眠り運転が道路交通法第六十六条(過労運転)違反になるかどうかについて考えてみるに、同条は「何人も前条に規定する場合のほか、過労、病気、薬物の影響その他の理由により、正常な運転ができない虞れがある状態で車輛等を運転してはならない」旨規定し、前条即ち酒気帯び運転を本条より明らかに除外しており、換言すれば同条は飲酒による運転以外の不正常運転を禁止した規定で、同条の「薬物」および「その他の理由」中には規定量以上のアルコールを保有する場合は勿論、規定量以下のアルコールを保有する場合も含まれないと解すべきであり、このことは同法第七十五条第二項が「アルコール又は薬物の影響、過労、病気その他の理由により正常な運転ができないおそれがある状態で車輛等を運転することを命じ云々」と規定し、アルコールの影響を薬物の影響およびその他の理由から明確に区別していることに徴しても明らかであり酒酔いのための居眠り運転は同法第六十六条により規制すべきものではなく同法第六十五条、第百十七条の二の規定により律するのを相当と解する。
従つて本性的訴因は被告人弁解の如く解するも罪とならないものであり、結局予備的訴因によるべきものとなるが、本件予備的訴因と前顕第一の確定裁判を経た酩酊運転の罪とは継続的な犯罪で一罪ではないかとの疑もあるので、なおその点につき考究する。
同一人により同種行為が反覆して接近した機会に行われた場合の罪数については、その行為が引続いて行われたか、その被害法益が同一であるか、又その犯意行為の態様、日時場所等諸般の事情を観察して社会通念に従い一罪か数罪かを決すべきことは勿論である。これを本件についてみるに被告人は前顕第一の酩酊運転を敢行し、右田巡査に検挙せられ、春日原派出所において約二時間半仮眠せしめられたことにより前顕第一の酩酊運転の行為は終了し、右仮眠後右田巡査より酔いがさめているかどうかの諸種の観察を受け、同巡査の客観的な判断により正常な運転をなし得るものとして運転行為を許容せられ、被告人も又自ら酒の酔いはさめて十分正常な運転をなし得るものと考え、前顕第三の運転行為をなすべきことを決意し、その決意に基いて運転を開始したものであり、前顕第一の運転行為と前顕第三の運転行為との間にはその意思の断絶が認められ、前顕第三の運転行為は被告人の新たな意思に基く運転と解すべく他の諸事情を考慮するまでもなく、両運転行為はそれぞれ別個の犯罪を構成すべきものである。
ところで酒酔い運転の罪が故意犯であることは刑法第三十八条第一項、道路交通法第百十七条の二および道路交通法制定に際し過失犯として処罰すべきものはその処罰規定を明文をもつて定めたことによつても明らかであるところ前顕(一)、(八)の各証拠によれば被告人が前顕第一の酩酊運転行為を終了し、右田巡査により約二時間半仮眠せしめられ、その後同巡査により客観的にも酔いがさめて、正常な運転をなし得る状態にあるものと認められ、且つ自己においても酔いがさめて正常な運転をなし得るものと信じ、前顕第三の運転行為を開始したことは前認定の通りで、運転開始時において被告人は酒に酔つている旨の認識を欠き(未必的にもせよ本件の場合そのような認識があつたことは認め難い)又運転途中突如酒の酔いが急激に廻り正常な運転ができなくなり、前顕の衝突事故を惹起したものであるからその不正常運転をなすことについても又その認識があつたことを認めることはまことに難いところである。
尤も酒の酔いは二、三時間位の仮眠では容易にさめず、自動車の動揺、ヒーターによる自動車内の温度上昇により酒酔いが再びぶり返すことも容易に想像されるのであるから右田巡査において運転再開に先立つて再度アルコール検知を施行し、危険を未然に防止する処置が望ましいのであるが、被告人においても約二時間半前の酩酊状態を考慮において酒酔いのぶり返しを警戒し、自らの自動車運転を思ひ止りタクシー等利用して帰宅すべきであつたにも拘らず酔いがさめて正常に運転して帰宅できるものと速断した点に被告人に過失が認められる。しかし前述の通り道路交通法第百十七条の二には過失を処断する規定が存しないのでこれによつて被告人を処罰することはできない。
よつて予備的訴因についても故意を欠き罪とならないので刑事訴訟法第三百三十六条により被告人に対し無罪の言渡をなすべきものである。
(裁判官 緒方康之)